やちおさんハイブリッド!

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  • 有賀 冬
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或る管理人の記録

  • ギャー!大変更新しておりませんでした!
    調子が戻り始めたので、またチョコチョコ更新再開いたします。


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[ ラブソングの永遠 ]

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「ごめんなさい。もう、会えません」

 ひとみさんが突然に言った。僕は驚かなかった。
 気持ちいい風の流れる夕暮れの丘。下のグラウンドでは子供たちが真っ黒になりながら白球を追いかけていて、そのまた向こうではオレンジ色の川面がきらきら輝いていた。
 綺麗で平和で穏やかな世界。僕の恋だけがガラガラと壊れていく。
「ごめんなさい。ずっと、あなたの好意に甘えていました」
「気にしないでよ。僕が強引に誘ったんだから」
 やせ我慢の笑顔を向けると、隣でひざを抱えたひとみさんが、眉根を寄せる。その表情ひとつひとつがとても美しく、胸の奥がきゅうと縮まる。
「でも、どうして急に?」
「夫が帰ってくるんです」
「そっか」
 ざざざ、と涼やかな風が流れた。
「旦那さんて、どんな人? 僕よりかっこよくて、頼りがいがあって、大人なんだろうね、やっぱり」
 我ながら女々しい台詞。ひとみさんは首を横に振る。長い髪がきらきら夕日に光る。
「そんなことありません。死ぬんです」
「え?」
 ひとみさんは少しちいさな声で語りだした。
 大切なたいせつな、宝物を見せるように。
「明日、夫が死ぬんです」


 あのひとと結婚したのは、私がまだ中学を出たばかりの頃でした。
 その頃の私は不幸なだけが取り得のガリガリに痩せた汚い子供で、おまけに腹の中には鬼の子供がいました。
 彼は学校に行けない私の家庭教師でした。まだ大学生でした。責任感の強い人でした。
 私が妊娠していることを知ったあのひとは、真剣なまなざしで言いました。
「結婚しよう」
「は?」
「俺がその子の父親になるよ」
「馬鹿じゃないの」
 私は彼を嘲笑いました。だって、おかしいでしょう?
 好きでもない女の、自分のものでもない子供の責任を取る人間がいるなんて、信じられないでしょう?
 なんて酔狂な嘘をつく人だろうと思いました。

 でもね、彼は本気だったんです。

 合法とはいえない手口であっというまに籍を入れて、私は鬼の手から逃げ出しました。
 鬼は怒り狂って追いかけて来ました。
 子供は流れてしまいました。ストレスか、無理に動いたせいか、早すぎる妊娠か、それ以外の理由かその全ての理由で。
 私はせいせいしたけれど、あのひとはすごく悲しみました。
「何で泣くの、馬鹿じゃないの、鬼の子供なのに」
 私がそう笑うと、彼はぽろぽろ涙をこぼしながら言いました。
「違うよ、君の子供だから悲しいんだ」
 優しい? そうですね、優しい人でした。
 あのひとはとても涙もろかった。悲しい映画。ニュースで流れる虐待殺人。道端で腐ってる猫の死骸。何にでも涙を流しました。その延長線上で泣いただけです。
 それ以外の感情なんてなかったんです、きっと。

 私たちは逃げて逃げて逃げたけれど、鬼はどこまでも追ってきました。
 大切なものはいつも小さなボストンバッグにつめこんで、一瞬で飛び出せる仕度をして過ごしました。
 仕事を、住居を点々として、そこもまた嗅ぎ付けられて、また逃げる。
 映画のような毎日でした。楽しかったですよ。でも同じくらい、疲れていきました。
 先に根を上げたのは私でした。

 鬼の手先の男達に追われ、逃げ込んだ川の土手。
 春のことでした。
 満開の桜の下、気が狂いそうなほどの静寂。足音さえも吸い込まれ、怖くなって私は叫びました。
「無理だよ! もういいから、私はもういいから、あなたが逃げてよ! 私さえいなければ、鬼は追いかけてこないんだから!」
 あのひとは、ひどく悲しそうな顔をしました。
「分かった。君は、少しだけ待ってて。俺がお父さんと話をしてくる」
「馬鹿じゃないの、その前に殺されるよ! あんなの父親じゃない、鬼だよ! あいつに話なんか通じるはずないじゃない!」
 私は彼の服の裾を掴んで叫びました。
 彼は私の手を包むように、てのひらを重ねました。ざらっとした感触。熱い体温。忘れません。
「大丈夫。俺は大丈夫だから、君を助けさせて」
「もういいよ、たくさん助けてもらったよ。だから、私の前から消えないで。私のせいでいなくならないで!」
 むちゃくちゃを言う私の頭を、ゆっくりとなでてくれました。
「ずっとそばにいるよ。大丈夫」
「嘘」
「もう少しだけ、俺に格好つけさせてくれないか?」
「いや」
 私は泣き出しました。声をあげて、子供のように。
「帰ってきたら、ひとみの好きなことを何でもしよう。おいしいものを食べに行こう。南の海に旅行にも行こう。あ、でもお金ないから、しばらく働かなきゃいけないけど」
「無理だよ! あなたは殺されて、私は連れ戻されて、また地獄みたいな毎日がくるんだ!」
 叫ぶ私を、彼は抱きしめました。
「信じて」
 彼の胸の中で、私はいつか見た恋愛映画を思い出していました。馬鹿みたいだけど。
「不安より悪夢より、俺を信じて。絶対に未来をハッピーエンドにする」
「絶対?」
「絶対。必ず帰る。帰らなきゃいけないんだ。そうしたら君に伝えたいことがあるんだよ」
「なに?」

 彼は微笑んで、私から手を離しました。いってきます、と一言だけを残して。
 それきり、夫も鬼も、戻ってはきませんでした。


 ひとみさんは僕を見て、少し笑った。
「あなたは、夫に似ていて。似すぎていました。隣にいても、手もつながないところ」
「それは」
 僕は一瞬ためらって、理由を口にした。
「不倫なんてさせたら、ひとみさんが汚れてしまう。そう思って」
 ひとみさんは笑う。
「そうやって私の意思をおいてきぼりにするのですね。馬鹿じゃないの、男の人ってみんな馬鹿」
 それはひとみさんの告白だったのだと思う。

「失踪届を出してから、明日で七年になります」
 僕が顔を上げた時には、ひとみさんはもう立ち上がっていた。
 沈みかけた夕日が、逆光でひとみさんの表情を隠す。
「知っていますか? 失踪者は七年で死亡とされます。だからようやく、あのひとは死ぬんです」
 夢見るように、彼女は語る。
「やっと、おかえりなさいが言えるんです。私はうんと綺麗な喪服を着て、毎日墓石にキスして暮らします。夜も、昼も、朝も、ずっと彼はそこにいて、もう動かない」
「それが、ひとみさんのハッピーエンド?」
 彼女は迷いのない声で、はい、と答えた。
「これからはずっと、いっしょです」
[ 創作短文 / 2006.07.27 ]





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